共生型放課後等デイサービス 「たつき」の由来
「ASD(自閉スペクトラム症)の私には、この先、絶望しかありません」
この言葉を遺書に残して、Aさんは帰天した。
私とAさんが出会ったのは、今から約10年前のことである。10代だったAさんは、母親に連れられて教会に来ていた。口数は多くなかった。けれど、とても穏やかで、優しい青年だった。進学校に通っていた彼に、私はある夏、こう頼んだ。
「夏休みに、不登校や学習に困っている子どもたちの勉強を見てくれませんか」
Aさんは、少し照れたように微笑みながら、「いいですよ」と、喜んで引き受けてくれた。その夏、Aさんは子どもたちの隣に座り、静かに、丁寧に、根気よく勉強を見てくれた。声を荒げることもなく、急かすこともなく、ただ寄り添うようにして。その姿は、実に温かかった。今も忘れない。
その後も数年、Aさんは母親と共に教会に来てくれ、交流が続いた。
やがて母親の転居、そしてコロナ禍が重なり、Aさんと直接会う機会はなくなった。それでも、ときどき近況が届いた。
最高学府の難関学部に進学し、さらに大学院へ。研究所で研究に携わっているという知らせも耳にした。私は「さすがAさんだなあ」と感心した。そしていつか、Aさんの個性と才能が思う存分に発揮され、やがて社会に大きな貢献をする人になるのだろうと、密かに期待していた。
しかし、そのAさんが、20代半ばの6月、冒頭の言葉を遺して帰天した。私などが、どれほど努力しても、決して入ることのできない大学と学部。彼には、それだけの頭脳と才能があった。けれども、その個性を開花させることなく、AさんはASDという特性に苦しみ、悶えながら、この世を去った。凡人の私には、Aさんが見つめていた未来の絶望を測ることはできない。きっとそれは、光の差し込まない漆黒の闇だったのだろう。彼と私が共に過ごした時間。教会で語られた言葉は、Aさんの絶望を破ることができなかったのだろうか。それとも、「すべての人は、かけがえのない尊厳をもって生きている」というメッセージを知っていたからこそ、その尊厳が実現されない現実との間で、彼は深く傷ついてしまったのだろうか。そう思うとき、私は自分の罪深さを思わずにはいられない。私たちの社会は、Aさんという稀有な個性を受けとめ、花開かせることのできない、あまりにも脆弱な社会なのではないか。私たちが約30年間続けてきた活動ももしかしたら無意味どころか、知らず知らずのうちに人を追い詰めてしまうような罪作りだったのではないか──
そんな思いさえ、胸をよぎる。けれども、私たちもいつの日か帰天し、Aさんと再び会う日が来る。そのとき、こう報告したい。あなたのもっていた個性が、抑え込まれるのではなく、豊かな才能として花開く社会に、少しでも近づけることができたと。その恵みを、人々が共に喜び、分かち合える社会を、私たちはあきらめずに歩んできたのだと。その願いを、決して忘れないために。これからの活動に、Aさんの名前を冠したいと思う。それが、Aさんに対して、私たちができる、ささやかな誓いである。




