ホッとスペース中原のビジョン
ホッとスペース中原は「福祉」の意義を次のようにとらえ、これをもってホッとスペース中原の福祉ビジョンとする。
(福祉の意義)
福祉は、次のように「制度としての福祉」と「人間としての福祉」をともに実現することにその意義を有する。ホッとスペース中原はこの2つの福祉を追求していくこととする。
制度としての福祉(welfare)
近代社会は、産業革命以来300年に及ぶ資本主義の歴史をもっている。そこには資本主義特有のわずかな富める豊かな者と同時に、多くの貧困、生活困難者という負を“必ず”生み出す構造を抱えて成り立っている。
この貧困によって「人間の尊厳」「人間としての自由と平等」「幸福の追求」「生存」は脅かされる必然がある。資本主義はこの顕在化する貧富の差を是認しつつ、どう格差を是正し、人間の尊厳を保持するかという永遠の矛盾をもっている。この現状を打開するための調整弁として、高所得者(富める者)から低所得者(貧困者)への「富の再分配」(納税)で、社会保障、社会福祉を行ってきた。しかし、社会は負の問題を抱えても、即時的に社会福祉を生み出されずにあり、社会の諸問題は時代によって事象を変え継続して止むことはない。
このため日本は、この社会福祉を戦前は、キリスト教が先駆的に奉仕し、戦後においては、この社会福祉を社会福祉法人が担ってきた。
しかし、1980年以降の経済の低成長に伴い、新自由主義が台頭し、社会保障・社会福祉の抑制の見直しが続き、敗者への自立の強要が強まっている。また、グローバル市場経済のもとでの競争原理は国内格差をますます強め、自己責任の社会風潮、弱肉強食の潮流はあらゆる場面で発生し、弱者へのセーフテイネットが壊れつつある。それゆえ、現代社会は負を抱えた者の再生産と増加を招き続けている。
ホッとスペース中原は、資本主義の中で、誰もが社会の最底点にあったとしても、人間として生きて存在する「人間としての尊厳」「人間としての平等」の思想を実現し目指す「社会福祉」を担う使命をもっている。
人間としての福祉(wellbeing)
「福祉」にはもう一つ、「人間としての福祉」がある。それは人間が本来持っている個人の人格を尊重し合う「福祉」である。人間は人格的存在であるゆえに、人間(人格)と人間(人格)が共に交わり、互いの困難や悲嘆、相手の苦境とその心中を察し、共感的に他者を理解することが可能になる。この人間に備わっている普遍的本質から「気遣い」(ケア)が生まれる。人間関係から共同体(コミュニティ)が志向され、共に生き、連帯する社会を主体的に形成していくことができる。ここに、資本主義が駆り立てる自己のエゴ(利己主義/我欲)の執着を超えて、人間として備わっている「愛」によって「真善美信」を行い、高次の「連帯社会」「共生社会」「互恵社会」が成り立つ。人間福祉は、神に造られた尊厳ある存在(persona/人格的存在)を、資本主義の負の遺産である支配、抑圧、搾取、排除、差別、偏見、争いなどの福祉や幸福に反する非人間的存在に対して、根本的な解決を促進していくことができる。
人間福祉は、隣人を自分のように愛する(隣人愛)、すなわち人間の価値を、稼ぎや役に立つなどの道具や手段として推し量るのではなく、あるがままに存在している価値として承認するものである。また、親密感が乏しく疎外感や孤立感を抱える「アノミー状態」(共通価値・倫理を失った混乱状態)にある社会から、人と人とがふれあい、対話し、絆を紡いでいく「コンパッション」(深い思いやりの温もり)の社会へ変容させることができる。
ホッとスペース中原は、この隣人愛、「コンパッション」(深い思いやりの温もり)によって生まれる「平安」「癒し」「慰め」によって幸福を得ていく福祉を志向し、選べない心身の痛みを抱えている人々、社会的孤立や孤独を抱えている人々、自尊感情が傷ついている方々に、進んでこの福祉を提供していく。この当事者性をもった専門職として「温かな絆」を形成し、「あなたは大切な存在です」と互いに認め合うことによって、共に生きる「共同体」(コミュニティ)を創造し、「自由」と「平等」を「友愛」をもって「福祉」(幸福)を実現する「人間福祉」を担う使命をもっている。
以上、私たちは絶望的な社会にあってもなお、神にある祈望を胸に、「社会福祉」と「人間福祉」を実現することが求められている。