私が二十歳代後半で牧師になりたての頃である。古びたビルの一室を借り、十五人ぐらいの小さな教会に仕えていた。
その教会で、十二月二十四日のクリスマスイヴに向けて、九月から子どもたちと話し合い、トルストイの書いた「靴屋のマルチン」の劇を行うことになった。
内容はこうだった。靴屋のマルチンは、長く連れ添った妻や一人息子を病気で失い生活が荒れる。マルチンは自分の不幸を嘆き、「神様なんていない」と絶望していた。そんなある夜、キリストの声を聞く。「マルチン、マルチン、明日、あなたのところに行くから待っていてくれ」
次の日、マルチンはいつキリストが現れるかと期待して窓ばかり見つめていた。でも、キリストはいっこうにマルチンの家にやってこない。そのかわり、窓から雪かきをいる老人が寒そうにしているのが見えた。マルチンは老人を家に招いて暖かいお茶をふるまった。次に赤ちゃんを抱えた貧しい母親が通り過ぎる。マルチンは寒そうにしているお母さんに上着を与えた。次に通りすがりにおばあさんのかごからリンゴを奪おうとした少年を見て、マルチンは急いで外に出て、少年と一緒におばあさんに謝った。夜になりマルチンは、昨夜のキリストの声を思い出して落胆する。そのとき、昨夜と同じようにキリストの声を聞く。「今日、私はあなたを訪ねた。あの老人も、あの赤ちゃんを抱いた若い母親も、あの少年も、みんな私だったのだ。おまえのところに行ったのがわかったか」「貧しい人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、そのような人たちの中にわたしはいる」
私は子どもたちとよく話し合い、練習を重ねて本番を迎えた。劇は五時から始まり、子どもたちは練習以上にうまく演じ、拍手喝采で終わった。教会はこの後、キャンドル礼拝、駅でのキャロリング、 来られない信徒の家々の訪問とスケジュールは目白押しだった。
私たちが劇を終え、片付けをしていると、教会のドアが開いた。そこには、小さな女の子が息を切らしながら、お父さんの手を引いて立っていた。私が挨拶をすると、女の子が一枚のチラシを差し出した。それはその日の夕方、教会の最寄り駅で私が配った「子ども劇」のチラシだった。私はその子の顔を見て、その小さな女の子とのやり取りを思い出した。
「今夜、教会でクリスマスの本当の意味が分かる劇があるよ」
すると女の子は、お父さんに聞いてくる、と言ってチラシをもって近くのアパートに帰り、電話をして戻ってきた。そして私に嬉しそうに話してくれた。
「お父さんが一緒に行ってもいいって言ってくれた。お父さんと一緒に行くから、絶対に待っていてね」「分かった、待っているよ」
その子の父親は事情を話した。「昨年妻が亡くなり、私たちは父子家庭になりました。今年は二人きりの淋しいクリスマスになると思っていました。それが、この子が私を教会に行こうと誘ってくれたんです。子どもは楽しみにして私の帰りを待っていたのですが、私にどうしても抜けられない仕事が入り、遅くなってしまったんです。本当にすみません。わがままだって承知していますが、どうかこの子のためにもう一度、劇をやっていただけませんか」
私は早速、教会の大人や子どもに事情を説明した。子どもたちは「やろう」と言ったが、大人たちは「予定が詰まっているから無理だ」ということで、大人の意見が結論になった。私はそれを父親に伝えた。女の子は悲しそうな瞳で私を見つめ、父親は無言でその子の手を引き、立ち去って行った。
私は教会の子どもたちに「残念だけどできない」と大人の結論を説明した。
少しの沈黙の後だった。先ほどキリストの役をした小学二年生の男の子が大きな声で劇のセリフを 大人に向けて叫んだのだ。
「貧しい人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、困っている人、そのような人たちの中にわたしはいます」
そして泣きながらこう続けた。
「本当のキリストが来たのに大人は帰したんだ。教会がキリストを帰していいのか!」
私たち大人は絶句した。劇のチラシにはこう書かれていた。
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです」(マタイ25・40)
私は我に返り、急いで教会の外に飛び出し、キリストを探した。けれど、暗闇に父子は見つからなかった。私は何という取り返しのつかないことをしたのだろう。家族をなくした悲しみを抱えた父子の絶望はいかばかりだったろう。どん底でクリスマスを迎えた彼ら親子にこそ、キリストは救い主になるために命をかけて生れてくださったはずなのに、その福音を、その希望の光を伝えるべき私は何をしたのか。キリストの誕生を祝う日に、主役のキリストを追い出した偽善者の自分自身に気づき、私は人目をはばからず泣いた。
あれから何年か経って私は、教会で福祉の働きを始めた。そこには、今も絶え間なくキリストは様々な姿でやって来る。誰かの手助けがなければ生きることのできない要介護の高齢者たち、自分の名前さえ忘れてしまう認知症状の人たち、全財産が数百円の貧しい人たち、孤独を抱いている一人暮らしの人たち。そしてあの「絶望を抱えて教会から無言で去った小さな女の子と父親」が教会にやって来る。私はその度に「二度と小さな者を見捨てず、その人の尊厳を大切にして共に生きること」を肝に銘じている。
キリストを語りながら、目の前に来たキリストを帰してしまった救いようのない私を裁くためではなく、私の傍らに降り立ち、私と共に苦しみ、私という罪人の友であり続けようと、キリストはダビデの町の馬小屋の飼い葉桶にお生まれになった。聖なる方があえて、私の主になろうと願い、私と同じ汚れた飼い葉桶に、確かに誕生し、十字架の身代わりの死を成し遂げた。それはまさに、間違いなく神さまの愛を示している。
私はクリスマスが来るたびに心が疼く。だからこそ、このどん底の疼きから、限りない神さまの愛が溢れ、辛苦をなめている人の傍らにと私は誘われる(いざなわれる)。そこには、確かに暗闇に寄り添うキリストがいる。だから私は、この方に希望を抱いて進もうと願っている。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリ ストです」(ルカ2・11)