夏は多くの実習生が

やってきます。
今年は
多い日には
一日7名の
受け入れをします。
大学を中心に
社会福祉士、介護福祉士、牧師のインターン実習から、
専門学校や高校生まで幅広く来られています。
大学生には
この問いを考えてもらっています。
「神さまがいるとしたら、
 どうして障碍者がいるのか」
この問いは、神さまという方はこの社会において、
すべての人を尊く、平等に愛されているのに、
なぜ、障碍者を創ったのでしょうか?
おかしくないですか?
という問いをかけました。
障碍者や高齢者は社会的に低い存在として処遇されています。
それは社会が「要介護者」や「障碍者」を役に立たないと生きる価値がない、という社会の規範が反映しているからです。
障碍者は神さまが創られたのではなく、社会が生み出しているのです。
すなわち、資本主義における生産性の序列、
消費社会における劣ったものとして扱うからです。
大切なのは、支援をしている私たち自身も社会の病理にあり、障碍者を創り出し、彼らに自尊心を低下ささせる処遇をしている加害者であるのです。
この自覚が大切だと教えました。
社会の病理が私たち一人ひとりに巣づいています。
その自覚、贖罪がケアにあると思います。
1人、、「ひるまの ゆきかきの おじいさんが あらわれ にっこり わらいました そして あかちゃんを だいた おんなのひとも おばあさんと こどもも あらわれ にっこり わらいました 「まるちん わたしが 「まるちんわたしがわからなかったのか わからなかったのか あれは みんな わたしだったのだ」 ったのだ」」というテキストのイラストのようです